チビだった僕 デカかったプロ野球の夢      

 (浜中祥和・著/出版文化社)

(岡山県・おぐらだいすけ)

この人自身には、プロとして大した成績を挙げていたわけではない(失礼)が、バイプレーヤーとして燦然とした印象がある。背こそ公称162センチで、実質160センチでプロ野球選手では日本一の低さであるが、三原大洋日本一の立て役者の一人である、守りのスペシャリスト。そして移籍した中日ではチーム一番の強肩野手(筆者注)であった。そして2人の子息も金村義明氏やパンチ佐藤と同期になり日本一を経験している。

そんな彼も、少年時代は病弱だったり、中学時代は公式戦をすっぽかしたり、大学時代は過酷なしごきからノイローゼになったり、打撃投手の球を目に当ててしまったり(結局この後遺症が尾を引くのだが)といった苦渋を舐めている。

また、名門である若狭高校に進学してセンバツを経験もしているけれども、その環境は決して恵まれているものとは言えなかった(戦後はどこも似たりよったりなんでしょうが)。

今と比べることは勿論無理なのだろうけど、オビの長嶋茂雄氏の推薦文ではないけれども、いかにして子供を育成するかという命題を抱えている指導者にまず読んでもまず読んで貰いたい本である。野球を志している人にも当然読んで貰いたい。技術的なハウツー本ではないが、精神の持ち方をどのように作るべきかというエッセンスが行間から充分にじみでているものに他ならないからだ。

そういえば、あの伏見工業ラグビー部の名伯楽だった「泣き虫先生」も中学時代は野球部で、若狭の人である。そういう裏日本の雰囲気も伝わるので、風土を感じるにもこの本はいいだろう。

<筆者注>中日時代、当時の主力選手と甲子園球場で強肩比べをして、グラウンドから大鉄傘まで乗せられたのは、島野育夫と彼だけだったそうである。〜近藤唯之『背番号の消えた人生』参照

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