マリンの太陽 初芝清

(京都府・ふさ千明)

1989年(1988年秋)、ドラフト4位でロッテオリオンズに入団。在籍していた東芝府中から「あのチームだけには行かせない」と言われるも説得して入団。当時の背番号は0。ルーキーにして阪急ブレーブス山沖からグランドスラム。

1994年、近鉄バファローズ野茂から劇的なサヨナラアーチ。

1995年、イチロー、田中幸雄とともにパリーグ打点王。

1998年、唐突に金髪になり、有藤道世激怒。

1999年、シドニーオリンピック予選に日本代表として参加。

2001年、初芝橋本高校(和歌山)にチームメイトの橋本と共に飲料水の差し入れ。母校でもないのだが、「気になるチーム。放っておけない」と。

2003年、西武ライオンズ帆足から日本タイ記録となる代打7打席連続安打。

2004年、GS神戸にて球界史上35人目の1500本安打。

そして、2005年9月22日、千葉マリンスタジアムにて引退セレモニー。代打で出場し、三瀬からデッドボールを受けて満員の観客泣き笑い。

プレーオフ第2ステージ第5戦、逆転を生んだ奇跡の内野安打。 その後も試合に出続け、引退セレモニー後最も長く試合に出場した選手となる(NPB未公認)。

10月23日、生涯初の日本シリーズ出場。代打でサードゴロ。

11月3日、静岡草薙球場でのパリーグ東西対抗戦に代打で出場。敵味方問わぬ満場の声援を受けるも、ショートフライに倒れる。

12月3日、千葉天台球場で草野球チームとのプロ野球ふれあいチャリティー野球大会に4番サードで出場。3安打を放つも、最終打席は二死満塁サヨナラのチャンスでどんづまりライトフライ。試合終了後の引退セレモニーでファンから「引退するなぁ〜」と言われ「だってやめるって言っちゃったんだからしょうがないじゃん」と切り返して大爆笑となる。

通算試合出場1728試合<球団史上5位>
通算安打1523<球団史上5位>
通算本塁打232<球団史上6位>
通算打点879<球団史上6位>
おまけに通算盗塁11、盗塁死26、併殺168、三振1082。


2005年、9月の中頃のこと。チームは例年にない好位置に付けていたものの、この残り試合数、このゲーム差で逆転1位など夢でしかないと、そう思っていた。プレーオフがあるからそれでもいいか、などと気楽に構えていた。

しかし。19日に行われた初芝の引退表明後、思いは変わった。どれだけホークスが強くても、勝たなければならない。そう思った。初芝引退への餞は1位通過、ホームでの優勝決定しかない、と。

しかし、その思いはかなうことなく、2位通過となった。福岡の地での優勝決定となった。また、皮肉なことに日本シリーズで4連勝してしまったために、日本一の胴上げも千葉マリンで果たすことができなかった。

31年も優勝から遠ざかっていたチームのファンが抱く感想としては贅沢なものでしかないだろうが、2001年のバファローズの優勝を大阪ドームで見て以来、ホームでの優勝に憧れていたから、やはり残念だった。

初芝が引退するという話を耳にし、その後のマリーンズの勢いを見るに付け、ドラえもん6巻のエピソードを思い出していた。ドラえもんが未来の世界へ帰ってしまうとき、のび太はジャイアンに向かっていって「僕が、ちゃんとしないと、ドラえもんが、安心して未来に帰れないんだ!」と叫んだ。初芝引退表明以後のマリーンズの勢いには、それに似たものを感じた。プレーの一つ一つに「来年から初芝はいないんだ! 安心して引退してもらうんだ!」そういう決意が見えた。

思い出が多すぎて、とてもうまくまとめられないが、それでも記憶の糸をたぐってみる。確かあれは初めて千葉マリンで観戦したときのこと。何でもないサードへのファールフライをみて悲鳴をあげる人がいた。何事かと思ったら、背番号6を付けた選手がよたよたとボールを追いかける姿を見て納得した。それが私が初芝のプレーを見た最初だった。

丸顔という共通点から親しみを感じ、後に眼鏡も共通点に加わる。気がつけば夢中になっていた。「♪ロッテの夢は〜観客動員百万人!」という本人を全く歌詞に入れていない応援歌にも全く違和感がなかった。言うまでもなく初芝が「球場に足を運ぶ甲斐のある選手」だったからだ。初芝見たさに集まる人が、いつかそのくらいになる日まで、がんばれ初芝! という意味なんだと勝手に解釈していた。

初芝のプレーはタイムリーもホームランも併殺打もファインプレーもエラーもたくさん見た。千葉マリンスタジアムで、川崎球場で、東京ドームで、西武球場で、GS神戸で、大阪ドームで、福岡ドームで、札幌ドームで、仙台宮城球場で、豊橋市民球場で、鹿児島鴨池球場で、ロッテ浦和球場で、そして静岡草薙球場で。

その思い出を挙げるとキリがないがそれでもいくつかならべていくと、20世紀最後の試合&秦のラストゲームで見せた好走塁。千葉マリンでのオリックス戦、同点二死満塁の場面でバッターボックスに立ち、初球にパスボールで逆転、そしてその打席でのタイムリーヒット。大阪ドームでレフトスタンドから「おじいちゃんよく走った!」と掛け声が飛んだ三塁打。そして2001年千葉マリンで、ライオンズの胴上げがかかった試合での大活躍と最終回でのエラー。

そして「僕の足ならセーフになると思ってました」「最後にみっともないところ見せてすいませんでした」などなど、数々の名言が聞けたヒーローインタビュー。草薙での、プロを相手としての現役最後の打席。これらを生で見たのは一生涯の自慢になる。

………いや、違う。初芝の魅力を何かに限定することなどできない。どんな時でも、どんな形でも初芝は楽しませてくれた。グラウンドの外ですらそうだった。初芝と共にあった日々すべてが孫子の代まで語り継げる自慢話になるだろう。

初芝がいたから、何があってもマリーンズのファンを続けられた。初芝の笑顔が、プレーの一つ一つが、すべて私にとって宝物だった。どんなひどい負け試合でも、初芝のいいプレーが見られたら「来た甲斐があったさ」と胸を張って言えた。そんな私は、来年からいったい何を楽しみに球場へ行けばいいのか。

引退セレモニーでの宣言通り優勝し、日本一になって、本当によかったと思う。初芝ほどのプレイヤーに優勝を経験させずに引退させることがなくてよかった。園川や平井や幸彦や、その他たくさんのプレイヤーの無念をやっとここで食い止めることができて本当に嬉しい。

それでもなお、書かずにはいられない。もし初芝が来年もプレーしてくれるのであれば、日本一にならなくても優勝しなくても良かった。自分でも間違っていると思うが、どんな非難をも承知であえて言う。チームが強くなったことが初芝の選手生命を縮めたのであれば、強くならなくても良かった…。私にとって初芝の存在は、何にも代え難い。この日本一の喜びを持ってしても、初芝引退の空白を埋めることはできない。

でも、もう、初芝はいない。初芝! あんたがいてくれたおかげで、幸せだったよ! あんたがいてくれたおかげで、何があってもマリーンズを、パリーグを、野球を好きでいられたよ。たぶん100分の1も伝わらないだろうけど、あんたの素晴らしさ、ずっと語り継いでいくよ。あんたからもらったものを、少しでも周りに伝えていくよ。

日は昇り、そして必ず沈む。時は流れて、帰ることはない。いつでも、どんな試合でも存在するだけで輝いていた太陽は、その役目を終えて今我々の前からその姿を隠そうとしている。

しかし、明けない夜はない。必ずや、再びグラウンドでまみえる日を楽しみに待とう。そしてその時は声の限りに、その名を叫びたい。


ありがとう、初芝。

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