平和台のかけら

(千葉県・おかピー)

1999年5月に広島遠征を敢行し、全プロ野球常打ち球場制覇に一歩近づいた私は、次なる標的を福岡ドームに定めた。理由はいくつかあり(たとえばダイエーの調子が良いとか、小倉競馬が2年ぶりに開催されるとか)観光目的の多い福岡遠征であったのだが、そのなかに「平和台球場の跡地に行く」というものがあった。

平和台…ホークスが福岡に移転した際の本拠地球場、あるいは伝説の球団と称される西鉄ライオンズのホームグラウンドである他に、この球場はもうひとつの顔を持つ。

なんでも、球場の下に奈良時代に設置された国内最古の迎賓館である「鴻臚館」の遺跡が埋まっているというのだ。これは1987年末に平和台球場の外野席の改修工事中に鴻臚館跡地が発見されたことで判明したという。そしてこの文化的遺産の調査研究のため、平和台球場を取り壊さねければならなくなってしまった。

1993年に福岡ドームが福岡市の湾岸部(百道地区)に開場し、平和台球場は一応の役目を終えた。その後もダイエーホークスの二軍戦や高校野球の地区大会などで使われたが、しばらくして完全に球音が消えた。

平和台は市の中心部にあり、街と一体化している。福岡の中心地「天神(西鉄福岡駅)」から、天神を東西に通る「明治通り」を西に15分くらい進めば、左手に平和台球場が見えてくるという。が、その直前、左手の視界に入ってきたものはジャイアンツグッズだった!?

その正体は読売福岡ビル。フロントにジャイアンツコーナーの小型版みたいなのがあって、申し訳程度にジャイアンツグッズが置いてあったのだ。需要はあるのかな?

寄り道はこの程度にして先へ進むとお堀が見えてきた。平和台球場はお堀に囲まれた公園(舞鶴公園)の中にあるということなので近づいてきたんだなと実感。適当なことろで左に折れ、公園内に入る。

芝生が一面に広がった場所がある。そしてその後方には遺跡発掘の作業現場がある。予備知識を持っていたのでそこが平和台球場の跡地なのだということは認識できた。噂には聞いていたが本当に何も痕跡がない。

辛うじて、外野スタンドの外壁(アイボリーの壁には何も書かれていないため、予備知識がなければそれとは気づかない)が残されていたが。

記念に写真を数枚撮った。芝生広場では数人の陸上部員がランニングをしていたが、自分たちの写真が撮られているというような冗談を言っていた。

また発掘現場は、外野席から内野のちょうど真ん中辺まであり、例の芝生広場は、内野のダイヤモンドの部分からホーム寄りを含んでいる。つまり陸上部員が走っていた場所を、門田あたりがドタドタと走っていたわけである。

最後に『ダイエーホークスファンブックスペシャル1992年版「THANKS 平和台」』29ページより。

「古代史跡の遺跡の遺構を保存するのが文化なら、手近な市民のスポーツ広場を確保して置くのも文化」。平和台讃歌といった感じのコラムである。私も個人的には古代史跡より野球場のほうが大事だと思ってしまう。

ただ、どこかのタマゴドーム球場と違って福岡ドームは、土地に根ざした球場という趣があるように感じた。福岡ドームには「平和台のかけら」があると思う。

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