長嶋」か「長島」か?

(なかむら治彦)

過日、「野球カルト倶楽部」掲示板に、以下のような質問があった。

長嶋監督の次女・三奈さんですが、ニュースステーションの字幕では「長島三奈」と表記されていた記憶があります。確か「長嶋」が戸籍上の名字だったと思うのですが、三奈さんは芸名でニュースを読んでいたのでしょうか?(たかぼーさんより)

これに対する筆者の返答は、以下のとおり。

マスコミ報道(TV・新聞)では基本的に、当用漢字しか使用しない、という規定があったはずです。(中略)しかし、長嶋監督の場合、たしか平成4年秋に就任が決まった際、自分から「ボク、戸籍上は『長嶋』なんだから…」と報道陣に頼んで、特例中の特例として当用漢字外の「長嶋」表記になった……と記憶しちょります。(中略)で、「ニュースステーション」という“報道番組”キャスターだった長島三奈さんの場合は、当初の規定どおり、「長島」表記になったものと思われます。(後略)

上の返答を送信した後も、この「長嶋」表記の件がミョーに心にひっかかったので、各出版物の「長嶋」表記は今までどーなっていたのか? を調査してみた。

んで結局、長嶋監督自身が「嶋」の字で頼む、と発言した描写自体を載せた資料は見つからずじまいだった。とはいえ、これについてのちょっとした読み物ぐらいにはなる量のネタが集まったので、ここにまとめて紹介する。

 

森岡浩氏著『プロ野球人名事典1999』(日外アソシエーツ)では、読売新聞社は「戸籍上は『長島』で、巨人の登録名簿は『長嶋』」と言い、巨人球団は「戸籍が『長嶋』」と言っている――と紹介している。ちなみに同書の項目表記は「長嶋茂雄」である。

同書では、『立教大学野球部史』では「長島」で、卒業生名簿では「長嶋」である――とも紹介。ただし、同欄の記述「新聞では現役中は『』だったが、'90年から『』を使い始め」は誤まり。スポーツニッポンの'91年の記事コメントでは、いまだ「長島」の表記が見られる(前述の“新聞”が読売系列紙だけなのかどうかは、本稿執筆段階では未確認。あるいは校正ミスかも)。

同書の「長嶋茂雄」欄に参考図書として紹介されている書籍58冊のタイトルを調べると、

★「長嶋」表記――45冊
★「長島」表記――10冊
★その他表記――3冊

と分かれる。「長島」と表記する著者の多くは、新聞記者出身の人、もしくはスポーツ雑誌「Number」記者と見受けられる。

参考までに、最後の「長島」タイトルの本は、'93年1月に出た青田昇氏著『長島巨人軍はいかにして勝つか !!』(こう書房)。これ以降発行された長嶋本はすべて「長嶋」表記である(復刻本の類は除く)。

 

さて、雑誌はどうか。野球雑誌を長く発行しているベースボールマガジン社の場合、立教大学時代から現役、監督(第一期・現在)を通じて、ほぼ「長嶋」だが、一時期だけ「長島」表記だったのを、手持ちの古雑誌で確認した。

月刊誌『ベースボールマガジン』'62年5月号の表記は「長嶋」だが、同じ年の『週刊ベースボール』7月30日号では「長島」になっていた。同年9月17日号、翌'63年の『ベースボールマガジン』4月号も「長島」。

その後の同社の雑誌は約5年分にわたって未所持で、その次の'68年の『週刊ベースボール』6月17日号になると「長嶋」表記に戻っていた。そしてこれ以降は、同社の雑誌はすべて「長嶋」表記で統一されている。この一時期に果たしてナニがあったのか。

新聞社系の雑誌は、監督復帰以前はおおむね「長島」。これは冒頭で書いた規定に準じたものか。ただしサンケイ系雑誌や『サンデー毎日』が「長嶋」としている例外も古雑誌の中には時折見られ、確証はない。

また、現役引退の際にたくさん発行された新聞社系ムック類も同様。ほとんど「長島」ながら、なぜか'74年11月21日発行の日刊スポーツグラフは『巨人軍長嶋茂雄 栄光の17年』というタイトル。これまた全体の確証には至らず。

フシギなのは報知新聞社発行の『月刊ジャイアンツ』で、'92年秋に長嶋監督が復帰以降も、なぜか表記はすべて「長島」のままで通し、'93年3月号からようやく全面的に「長嶋」表記となった。ただし、表記変更に際しての断り書きの類は、誌面には一切見当たらない。

マンガ雑誌においては、確認した限りすべて「長島」(監督復帰以前のもの)。大手出版社の当用漢字に関する規定が新聞社のそれに近いのかも。

細かいところでは……

野球殿堂の表記は「長嶋」。本人が書くサインの字は「長島」。現役時代、後楽園球場の電光掲示板は「長嶋」。現役引退時と、監督復帰の際、知人の新聞記者に発送した挨拶状は「長島」。

 

――いやもう謎は深まるばかりである。

現在入手できる本で、この名前表記問題について一番細かく記述しているのは、近藤唯之氏の『プロ野球 新・監督列伝』(PHP文庫)である。

これによると、本名は「長嶋」で、立大時代は各新聞社まちまちの表記だったが、'58年プロ入りの折、記録テーブル統一の必要性から、当時の東京運動記者クラブ代表幹事・好村三郎氏(立大野球部OB、朝日新聞)が長嶋に「テーブルを作るのに簡単な“長島”で統一したいが」と申し込んだという。

そして本人が「はい結構です、よろしいように」といともあっさり了承したため、そのまま第一期監督期終了の'80年までずっと「長島」だったのだ、とか。

この近藤氏の文章内には、当用漢字の規定に関する記述が無い。加えて、驚くことに現在の長嶋監督は、ゲンかつぎの目的で'99年から「長島茂雄」に再改名しているのだ、という。

ええ〜っ。この本読むまで知らなかったぞぉ〜っ。

 

最後に、長嶋さん引退の年である'74年11月発行の『長島茂雄たのしみ読本』(長島茂雄ファンの会編、KKロングセラーズ刊)の中にある名前表記問題の記述を抜粋紹介して、本稿を終える。

「本当は、というより本名は『長嶋』である。(中略)新聞・雑誌の場合、当用漢字という制限のワク内で、“山”がとれ、『長島』になってしまった、というだけの話である(中略)。

要するに名前は“記号”か“しるし”のようなもので、長島の本質とは全く別次元のものというわけだろう。問題は実力であり、それを維持する練習と、プロ野球人としての自覚と執念以外のなにものでもないはずだからだ」

 

※参考資料は多数につき、本稿内で紹介したもの以外は省略します。ご了承ください

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