長嶋さんに関する思い出

(東京都・うっどそん)

退任より約4ヶ月、その時はあまり特別な思いはなかった。でももう表舞台には戻っては来ない人だと思うと何だか寂しさを感じる今日。今は野球ファンの私。でも始まりをたどると、巨人と長嶋さんのファンになった事からでした。そこでこの機会に、彼に関する思い出を文にしたいと思います(多分、思い入れがあるとすれば私の年が一番後と思います)。

私がまだ幼い時分。親の影響もあって巨人ファンになりました。当時は連覇の最中、チームの面々もすばらしいのと魅力もあったのも理由(今みたいに金にまかせて主役ばっかりのドラマ作ってるのとは大違い)。その中でも彼はピカ一。とにかく格好いいっていう一言。球場の外でもバーバリースーツのTVCMパリッとしててきまってた。銭湯に行くと必ずゲタ箱は3を選んで入れていたくらい(年がわかってしまうな)。しかし私が球場に行きはじめた小学校高学年の頃になるともう選手としては峠は越えた事を感じさせるを得なかった。当時円熟期を迎えた王さんに打線の主役は譲った形になっていました。でも試合前のスタメン発表や打順を告げるコールの際他の誰よりも大きな声援が上がる。一人だけ特別、出てくるだけで喜ばれる。本当にすごかった。今だにあの沸いてくる声援、耳の底にかすかに残っている。

そしてやって来たどんな選手でも平等に来る引退。あのセレモニー。あんなの初めて見た。引退して寂しいと思う気持ちより決まってる気が先に立って、他の人は泣いたっていうけど私は泣かなかった。そして監督就任、背番号は90。発案は息子の一茂君。打順の3番、背番号の3、そして3塁の3、0をつけて90という事。「ひょっとして、親子揃って名選手になるかな」との会話に、事情通の友人「彼は野球に興味なくてアメフトだって」との一言。へ〜っていう感じ。

応援の企画や歌が随分出来て気は加熱気味。そしてシーズン開幕。周りの加熱ぶりとは裏腹に負けが続いて最下位のまま。皮肉な事に人気だけはすごかった。チケットは入手困難。球宴の投票では巨人選手が並ぶ。一軍で投げていないD1の定岡が投票の上位になるほど(そのおかげで兄の智秋さんがが球宴に出られるおまけ)。こんな歌も出来た。グレープ「朝刊」(詞・さだまさし。相方吉田雅美はうちの中学OB、ついで)♪君は早起きしたのがさも得意そうに、寝ぼけ眼のボクを朝食に追い立て「ねえまた巨人が負けたんだって」高田の背番号も知らないくせに〜。

そしてその年の10月15日、目の前でカープに優勝を決められる。素直にカープの優勝を祝った自分に不思議を感じた。この頃から巨人ファンから野球ファンに自分が変化していくのを感じる。そしてチームは最下位のままシーズン終了。戦力も問題があったのは確か。でもあのメチャな指揮じゃね。外より色々声が起こる。チームのOBも、アドバイスより足を引っ張るだけのもの。はっきり言って不快感だけしか感じない。 

トレードで張本さんが来る。私自身終わった選手と思っていた。皮肉なことに彼の活躍で優勝争いを演じる。前年冴えなかった感じの長嶋さんに活気が戻る。でも指揮は相変わらずメチャ。選手としての素晴らしさとのギャップを感じる。チームは最終戦で優勝する。でも日本一にはなれない、翌年も。そしてその様な状況に対して出て来た親会社Yの強引な態度、嫌味の一言。
その頃より自身巨人ファンから野球ファンへの変化を感じる。そして78年V3を逸す。と出ました「江川事件」。契約したって事は臨時ニュースになる程。TVニュースも時間を割いてする。どの漫画誌も事件をパロった作品が並ぶ。でも一番驚いたのはスポーツ紙の売れ方。記事を読みたくてスタンドへ行くもスポーツ紙のスペースはガラン。売り子の人もオフにこんなにスポーツ紙が売れるなんて、こんな経験初めてって言ってた。当の長嶋さんがただこの事件について指をくわえて見てるだけ。監督って意外と権限ないものと初めて分かる。

79年シーズン江川のためにトレードで出た小林に捻られたのが大きく(そう言えば小林の応援歌も出た)5位に終わる。再びOB達の雑音。80年のシリーズはコーチの事でゴタゴタ。そう言えばどこかの占い師、シーズン前に退任の占い出してたな。長嶋さん自身TVで笑い飛ばしてたっけ(職業柄、占い師は嫌い。無責任のシンボルだよアレ)。チームは3位。そして半年経って当った解任劇。メチャな指揮は確かだったけどしっかりしたサブをつけない球団の姿勢にも怒り。その前に江川を強引に入れてチームをガタガタにした首脳陣に呆れ怒る。そして江川は嫌われ者の代名詞に(その反面強烈に支持する者も多かった)。こんな言葉も出来たっけ、「江川、ピーマン、北の湖」。当時の子供達の嫌いな物を並べたもの(昔の「巨人、大鵬、卵焼き」のパロ)。 

そして追いかける様に王さんも引退。奇しくも同じ火曜日。会見のみで引退試合なし(今だに)。皮肉にも翌年、彼の手にかけた選手の活躍で優勝。初の同一球場でのシリーズ。2位、1位とあの不振からうその様にチームにも活気が戻る。そして84年、主軸を組んだ王さんが監督に。次の監督は若い世代に行く事が当然予想される。当人もそれを解っていたのか。当初「浪人」って再び役目が巡って来るのを待っていた言葉を使っていたのがついに「文化人」て言葉を使う様になった、もう出番はないって観念したみたいに。そんな間にも色々な話があった。○○の監督に、大使に、そして国会議員の候補になんてのも。でもみんな根も葉もない話。有名人は違うなって感じる。

そして「背番号名付けの親」一茂君がプロへ。背番号は3。でも扱いはまるで付録、気の毒に。こんな声で世代間のギャップを覚える。中高生の野球中継に対する意見「あのカン高い声の、変な事言うオジサン誰?」の声、あの世代にはそうとしか取らないのか…。

そうそう変な言動と言えば、91年の世界陸上。WRのルイスに「ヘイ、カール」の一言。私も何とも言えない可笑しさを覚える。

80年代から90年代へ野球人気の危機が叫ばれる様になる。それに応えるかのごとく今度は本当のプロサッカーJリーグの発足の正式表明。93年に幕が開くと言う。前年の92年、耳を疑う記事「93年より長嶋氏巨人監督に」。あれから12年、もう戻っては来ないだろうと思っていただけに驚きを感じざるを得なかった。

そしてシーズン開幕。相変わらずのオーバーアクション、ついでに指揮がメチャなのも。今度も色々言ってくる人が沢山。そして前の監督の時に外から雑音発したOBの人が問題にならない存在が。そう親会社YのW氏。つまらないOBの人がまるで問題にならない。葉巻くわえさせりゃマ○○アのドンって風体、烏を鷺と言いくるめる強引さ、これが言論人かって。長嶋さんにすがるしか技がないくせに。W氏の意向で始まったFA、落合が来る。その効果か日本一。そして止まらない金に物を言わせた補強。チームはまるでオールスター。しかしすんなりとは勝てない不思議。他をお払い箱になった選手を上手く使った野村ヤクルトの後塵を拝する(主役ばかりの劇を観てもつまらないのと同じで)。尚も止まらないFA補強。彼が欲しいと言ったからそうフロントが動いたとの弁。なんて言い方。野球をどう思っているのか。

00年、とうとう実現、ONの対決。マスコミのあおりも異常。やるのは選手だ。若い世代は二人の現役を知らない。なんか噛み合わない。Nの側の4−2の勝ち。私は思った「ここで身を引いてくれ。引き際の良さって大事」(好きだったからこそそう思った)。でも思いは裏切られる。球団はどうして彼にすがるしかないのか、全く分からないその気持ち。

01年V逸、解任劇。今度はもう表舞台には戻って来ないでしょうね。ご苦労様。それにしても変な肩書きもらって巨人に残る様だけどやめてもらいたいな。野球を愛してる人だったら巨人と手をすっぱりと切って全体に尽くしてもらいたいな。本当に(蛇足だけど岩田さん、どうなるんですかね。あんな目立つ番記者いなかったから)。

これを書いてる今日(2002年2月18日、これ3週かかって書いてます)もキャンプ訪問してるTVを見ました。いつまでも若々しくっていいですねってTVじゃ言われてるけど、老けたなってしみじみ思います。そうだね、あの時代、彼のプレーに胸ときめかせていた少年が、今年厄年迎えるんだから当然か。時間って平等な扱いしてくれる。

長い文終わった。再び野球ファンの私に戻ります。

戻る

inserted by FC2 system