なんばパークス見聞記

(京都府・ふさ千明)

大阪球場跡地にできた総合ショッピングセンター、なんばパークス。そこに「南海ホークスメモリアルギャラリー」なるものがあるということで足を向けてみた。

当日、雨。つくづく雨男であることを痛感させられつつ、地下鉄御堂筋線難波駅から、なんばCITYを通ってなんばパークスへ。たまたま出たところがWINS難波の正面で、漫画『あぶさん』の中の「閑古鳥の大阪球場、ここだけ満員」という場面を思い出す。

せっかくなので、すぐに中に入らず一回りすることに。なんばパークスは、球場独特のカーブを描いたラインを生かしたままのデザインで、リアルタイムで見ていないはずの大阪球場の面影を追うことができた。そして、フードコートグルメスタジアムやらなんば住宅博やら、大阪球場を彷彿とさせるものを発見。

なんば住宅博とは、なんのことはない規模の少々大きな住宅展示なのだが、これは大阪球場が球場としての役割を終えてしばらく、グラウンドを住宅展示場として使用していた故事に由来するものと思われる。

また、フードコートぐるめスタジアムとは何かと思い、中へ入ってみると、WINSの一部の食堂コーナーであった。ハンバーガー、うどん・そば、カレー、 天丼、寿司、串焼きと豊富に揃っていて、目にも楽しい。いずれも基本は立ち食い。

大阪球場跡地でスタンドカレーと言うのに郷愁を感じた私は早速注文。カツやらコロッケやらいろいろトッピングの種類があったが、ノーマルなやつを頼む。値段は500円。味は、何の変哲もない、こういうところでよくあるカレーの味でしかなかった。しかし不思議と、食べてよかったと思える満足感があった。わずかにでも大阪球場をたどることができたからだろうか。おそらく、多くの人はなぜこの場所がスタジアムなのかをさして意識することもく利用していたことだろう。それでいい。ただ、ここを「スタジアム」と名 付けてくれたことに感謝したい。

そして、今回の主目的である南海ホークスメモリアルを目指して、いざなんばパークスの中へ。毎日放送MBSのスタジオブースがあり、その横から入ることにする。エスカレーターで上がったところに南海ホークスメモリアルギャラリーのパネルがあった。なかなかいい写真を使っており、思わず立ち止まる。

そこからエレベーターで7階へ。もし行かれる際は7階に止まらないエレベーターがあるので注意されたい。エレベーターを下りると、正面にあぶさんの姿が。メモリアルギャラリーの看板は、スイングするあぶさんなのだ。

その横に「野手」「打者」「投手」と3種類のパネルがある。週刊ベースボールにも書かれていたが、この分類はどうかと思う。野手という括りで「打てなかったけど良かった選手」を紹介したいなら投・打・守とでも分けたら良かっ たように思う。この展示の中で、意外な注目を集めていたのがタイガース優勝で名を売った島野育夫というのがいかにもである。

そして。
これはすでに多くの媒体で目にしていたことだが、ここのギャラリーには野村克也という名前が一カ所たりとも無い。打者の代表として扱われているのは門田博光であり、野手の代表も背番号14と思われる内野手。その先にある年表コーナーにも野村の野の字も無い。もちろん忘れられたという訳では無く、過去の出来事から生じた不幸な現象であろうが、ただただ残念というしか無い。

パリーグ初の三冠王、歴代最多試合出場を初めとして、プロ野球選手として無数の輝かしい記録を持ち、監督としてもリーグ制覇やストッパーの導入などの実績を持ち、本来であればまさにホークスの誇りとも言うべきその姿が、ここに現れることを願ってやまない。

順路に従い先へ進むと、まず目に入るのが大画面テレビ。この時は「100万ドルの内野陣」という映像が流れていた。これは、飯田・木塚・鶴岡らの現役時代のハツラツとプレーする姿が見られる貴重な映像であった。

その横に南海ホークス年表と大阪スタヂアム年表、さらにその左手には『HAWKS MIND』と題された、優勝カップやペナント、バット、スタジアムジャ ンパー、ユニフォームなどの展示があった。そのなかで個人的に面白いと思ったのは、優勝の表彰状。ただ単に、このとき小松政夫のネタが脳裏をよぎったからだが。

7階の、このギャラリーのすぐ横には大阪ヌードルシティという麺類のフードテーマパーク(入場無料)があるため、人通りは多い。その人の流れの中で、意外なものを見つけたという風に足を止める人も少なくなかった。ちゃちなお飾り的展示でなく、野球体育博物館の一角としてもおかしくない立派なものであるということも、その理由の一つだろう。南海グループの英断に拍手を贈りたい。


このギャラリーによって、ここに球場があり、ホークスがダイエーでなかった時代があり、そしてそれは輝かしい歴史を持っていたことを知る人が増えて欲しいと思った。そして、この建物が、やけに曲線の多い構造になっている理由に思い至ってくれると、最上階にある空中庭園からのながめもまた違って見えるのではないだろうか。

大阪球場は、竣工当初「現代の大阪城」と言われた。“落城”後も、他の球場と違ってここが球場であったということに確かな敬意を払われている。それは、幸せなことと言ってよいだろう。わずかに悲しい墓標が残るのみとなって しまった当時の“同僚”たちから見れば、うらやましい限りではないか。

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