「故・根本陸夫氏を偲ぶ会」出席録

(神奈川県・ももピっ!)

99年5月31日、福岡ドーム隣のホテルで「故・根本陸夫氏を偲ぶ会」が執り行われました。福岡に滞在していた私は、前日の新聞でその事を知り、ホークスの選手も参列するというので、私も哀悼の意を表す事にしました(半分以上ミーハー気分、根本さん許して下さい)。

個人的には、タイガース日本一直後のドラフトで清原のクジをひいた人というのを筆頭に、「がんばれタブチくん!」の監督とか、ライオンズの印象が極めて強い人物ですが。

当日、時間にルーズな私は、約20分遅れ(13時開始)で到着、入口に居たホテルの人に場所の確認をすると、会場へ案内され、いよいよ中に入った。

正面奥には、根本氏の遺影が飾ってあり、その横では、生前のビデオが流され、側壁には写真・新聞・ユニフォーム・移動用のトランク等が展示されていた。

とりあえず眼と脚を動かしていると、背を丸めて壁の写真を見ている89番のユニフォーム姿の男の背中が眼に入った。「ミーハーなおっさんやなあ〜」と心で叫ぶと、その男に「王さん」という声が。それに対して男は、丸めた背中を伸ばし返事をした。

その瞬間に顔が見えた。「アッ本物だ!」 あの”王貞治”である。これはもっと近くでみてみようと歩きだした所、ダイエーの関係者にとめられてしまった。「ああ残念」と思いつつ視線を再び王監督に移そうとすると関係者氏の隣には、元南海ホークス河埜敬幸氏が関係者として立っていた。「これは来てよかった!」

そうこうしていると、髪の毛がやたらに黒くてテカテカの黒江助監督を先頭にホークス選手達が壁ぞいに歩いてきた。

そんな中で、根本氏のクラウンライター・ライオンズ時代の数々の写真の前で、やはり元クラウンの若菜・山村・立花の3人のコーチが立ち止まり、写真を指差して「これは私です」「これは私です」「これは○○だよな」私は近くでじっと聴いていたのですが、残念ながら名前は確認できませんでした。

後でその写真を観てみると、記憶にわずかに残っている顔と名前が、そんな中でハッキリと確認できたのが42番の真弓明信選手です。

行列は続き、元南海ホークス定岡智秋コーチ(昔、某選手名鑑によると愛称が”薩摩隼人”だった。現在なら田之上慶三郎あたりか!)をはじめ、元南海勢が続くと「ホークスがなぜ福岡でこのような事を行なっているのだろう?」と思ってしまう。

コーチ陣の後は選手がゾロゾロ歩く。井口選手がやって来た。黄色い声援とまではいかないが、声をかける女性ファン達に、さすがに愛想をふりまくわけにもいかず、無言で通り過ぎた。関係ないが意外に太っていた。もちろん吉永選手程ではない。松中選手登場、「老けてる!」いや貫禄がある。よし”大豊二世”と命名しよう。

行列も終わり、私も再びウロウロ歩き始めると、藤原満氏や岸川勝也氏の顔が、その他にも懐かしい顔がみられた。すっかり満足した私の耳に聞き慣れた京都弁が、まるでY田義男元阪神監督そっくりだ…あら本物だ! TVカメラの性能の良さを確認できたような気がした。

人も少なくなってきたので、根本氏の遺影の前で、色々な事を思いながら黙祷、一礼の後、展示品の見学(現役時代の写真初めてみました。捕手だったんですねぇ)。

最後に西鉄・太平洋・クラウンの各ライオンズ&ダイエー・ホークスの本拠地、平和台球場と南海ホークスの本拠地、大阪球場に御礼を申し上げ、根本氏の御冥福を御祈り申し上げます。

 

※河埜氏や会場の隅に居た斉藤学元投手が、ひらがな文字使用・顔写真入りの名札を付けていたが、ダイエーのスーパーの店員みたいなので、こういう場ではやめてほしいものだ。

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