『ロシアから来たエース』

(ナターシャ・スタルヒン・著/PHP文庫)

(東京都・たけがわ雅子)

東京読売巨人軍の創成期のエースとして、澤村栄治と同じくらい重要な人物だと私は思うのだが、十年位前に「知ってるつもり!?」で取り上げられるまでは、あまりよく知らなかった。せいぜい「須田博」と一時改名していた事位だろうか。

その「改名」の事だが、「戦時中、外国語は敵性語とされたため」…と言うのは知られているが、スタルヒンの苦難はそれだけじゃなかったようだ。

野球で名をあげたスタルヒンだが、戦時中は一歩グラウンドの外に出ると不自由なんて物ではなかったらしい。「東京巨人軍のエース」の称号もグラウンド外ではあまり役に立ってなかったようだ。暗い時代の数少ない娯楽で、人々の希望と歓声を一身に受けていたにも拘わらず!

実は、亡命ロシア人であるスタルヒンには「国籍」がなかった。その理由については省くが(知りたい人は探して読んでね)、何度も何度も「日本国籍」を取得しようとしたが、叶わなかったようである。

ロマノフ王朝の将校を父に持つ為に、ロシア革命の際には革命軍に追われ、広大なシベリアの大地と海を越えて、わずか2歳の時に亡命する羽目になった。だから流暢な日本語を話す(ロシア語も話せたようだが)。でも姿は全くの「外国人」。そう言う「時代」とは言え、スパイ扱いまでされたようだ。

「日本人」になりたかったのに、「(強制的につけられた)須田博と言う名前だけ」とは皮肉である。

戦時中は「マウンドの上でだけ人間扱いされていた」と言っても過言ではないのかも知れない。戦後もひっそりと、日本で初の「200勝投手」となった。今なら大騒ぎなのに。

スタルヒンは現在「旭川スタルヒン球場」として、日本の故郷に戻った。もしかしたら雲の上で今は幸せでいるのかもしれない。著者でもある娘・ナターシャの言葉にもある。

「球場の正面入口前には、あたかも『ここは自分が守るんだ』といわんばかりの父スタルヒンの姿がある。(略)最高に幸せそうな微笑みを浮かべ、そこに立つ。」(『おわりに−天国にいるパパへ』より)

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