東京「半日野球散歩」

(東京都・むさし郷司)

1999年8月26日。暑さもやや和らいだこの日、ダラ球会のスタッフ4名は正午に渋谷駅に集合した。今日の目的は、東京の(一部神奈川県を含む)「野球に関わりのあるスポット」の散策である。

まずは東横線に乗り込み多摩川園で下車。駅から多摩川沿いに15分ほど歩いて「グランド小池商店」に行く。この店はご存知の方も多いと思うが、巨人・多摩川グラウンドのそばにあり、かつてONを始めとした巨人選手の御用達だった「おでん屋」である。

さて、店内に入ろうとしたら表に「準備中」の札がかかっていた。でもお客さんがいるようだ。そこで店のオバアさんに声を掛けると、風で「営業中」の札が自然にひっくりかえっていただけのようであった。以前には夕方まで札がひっくりかえったままだったこともあったそうである。店はオジイさん(川上哲治そっくり!)、オバアさん、オバさんの3人でやっていた。

店内には夥しい数の「写真」と「サイン」があった。巨人の選手のみならず他球団の選手のサインもある。

変わったところでは、現デトロイト・タイガースの木田優夫の自画像入りや、木之内みどり、プリティー長嶋、中島誠之助、シェイプUPガールズ、敏いとうとハッピー&ブルー、日本テレビ・山王丸和恵アナウンサーなんてところがあった。

また元・巨人寮長の武宮敏明氏の筆による、

「グランドに(おでん屋に)通いつづけて三十ねん。いつの間にやら頭真白」

という句? も掲げてあった。

さて店内ばかり眺めてないて注文をしよう。メニューは基本的に「おでん」「やきそば」のみ。その他には飲み物と「かき氷」、「ところ天」である。

私は「やきそば(350円)」、こまつ君とかねこ君は「おでん(400円)」、ふさ君は「やきそば」と「おでん」両方をたのむ。おでんは都合3皿出てきたが、皿によって中に入っている種が微妙に違っていた。なお、さらにふさ君とこまつ君は「かき氷」を追加注文した。

帰り際に、この店はいつからやっているのかと聞いたら「昭和26年から」だそうである。巨人・多摩川グラウンドの開設よりも4年早いらしい。

さて「小池商店」を出た私たちは土手を降りて「旧・巨人多摩川グラウンド」へ向かった。1995年春で巨人の手を離れた多摩川グラウンドは、現在どうなっているのだろう?

ちなみに近くにある東急バスのバス停の名前も「巨人軍グランド前」から「多摩川グランド前」に変わっていた。

土手を降りたところには、草に埋もれながらも「東京読売巨人軍」と書かれた標識が残っていた。そしてグラウンドを見ると、石ころだらけでベースも無く、とても使える状態ではなかった(投手板は残っていた)。そして何やら工事をしていた。これは「取り壊し工事」なのだろうか?

グラウンドを一まわりしたあと再び土手を上がる。土手の上には「多摩川台公園(八景を訪ねる)」という案内図があった。それには巨人多摩川グラウンドと日本ハム多摩川グラウンドが描かれていたが、ちゃんと巨人と日本ハムの選手のユニフォーム(オレンジ色の時代のもの)が描き分けられていた。

そのあと「丸子橋」を渡って神奈川県側に行く。今度は「日本ハム多摩川グランド」だ。巨人のグラウンドからも見え、直線距離ではそう遠くないのだが、大回りしなければならないため結構時間がかかった。こちらの多摩川グラウンドも1997年にファイターズの練習場が鎌ヶ谷に移転してからどうなっているのだろうか?

さて、グラウンドでは白いユニフォームを着た高校生らしき選手たちが練習をしていた。置いてあったバッグを見ると「KOMAGAKU」と書かれていた。

そしてグラウンドを眺めていると、ファイターズの帽子を被ったおじさんがやって来た。この人はグラウンドの管理人のようだ。少し話をしてみると、このグラウンドは現在も日本ハム球団の所有で、最近は主に「貸グラウンド」として使われているらしい。だがファイターズの選手もグラウンドの近くに今でも何人か住んでいるので、練習をしに来ることも有るとのこと。

また、先日の大雨でグラウンドが水没してしまい、ようやっと「メイングラウンド」だけ使えるようになったということを言っていた。と、いうことは巨人のグラウンドの方も「修復工事」だったのかもしれない。実際、まだグラウンドの外はぬかるんでいて、私は足を泥の中に突っ込んでしまった。

日ハムグラウンドを後にして、我々は新丸子駅から東横線に乗って渋谷へ。山手線に乗り換え高田馬場で降りる。ここで、こまつ君が居ないことに気づいた。あわてて携帯に電話すると、渋谷で乗り換える時に自動改札で切符を取り忘れ、切符を買い直したために山手線に乗り遅れたらしい。しかし高田馬場に着くまで、こまつ君が居ないのに誰も気づかないなんて…(泣)。

高田馬場のホームで5分くらい待ってこまつ君と再合流。西武新宿線に乗り換えて上井草へ。次なる目的地は「上井草球場跡地」

上井草球場とは、かつて東京セネタースのフランチャイズだった球場で、現在は「上井草スポーツセンター」という施設になっている。以前こまつ君がここで草野球をした際に、「上井草球場に冠する展示物」があるのを見つけたというのでやってきた。

上井草駅の南口から300mくらい歩いて程なく到着。「上井草スポーツセンター」は野球場、温水プール、弓道場、ゲートボール場、体育館などがある総合スポーツ施設である。完成は1998年2月と、まだ新しい。施設の入口を入りすぐ左側の通路にその展示はあった。

内容は「上井草スポーツセンターの歴史」というもので、昭和2年に西武鉄道が畑の中に運動場を作り、それがセネタースの発足とともに野球場に替わり、さらに東京オリンピックの年(昭和39年)に、都民に水道水を安定的に供給するために「上井草給水所配水池」となり、現在はその配水池の上にグラウンドが作られているという説明が書かれていた。そして当時の上井草球場や苅田久徳(セネタース)などの写真が飾ってあった。

さて、それでは現野球場も見てみよう。グラウンドは地表よりも高い位置にあるため、階段を上がって行く。これは配水池の上にあるためだろう。全面人工芝のグラウンドが4面あった。

また、この施設内には「てんとう虫」というレストランがあるのだが、店の前には何故か「野村監督の人形」が置いてあった。何かと思うと、メニューにある「六甲おろしうどん」の宣伝なのであった。ちなみに何故「六甲おろし」なのかというと、「大根おろし」が入っているからのようである。トホホ…。

そして他にも「めざせシドニーうどん」(5つの具が「五輪」をあらわしている)、「大魔神うどん」「マグワイア特大カツカレー」「ソーサ普通にカツカレー」などの珍メニューのオンパレードであった。

上井草駅前のバス停から、西武バス「長久保」行に乗って大泉学園へ。駅北口から「東大泉仲町商店街」を抜けてすぐのことろ(徒歩約5分)にある「お好み焼き おだちゃん」へ。そうです、主にワンポイントリリーフで活躍した元・西武ライオンズの小田真也氏のお店です。

店は2階にあった。中へ入ると奥にインディアンズの帽子を被った人が。その人こそ小田氏であった。お店には他に女性が一人(奥さん?)で、小田氏自らが調理をする。店の規模はカウンター12席、テーブル席2個(12人分くらい)のこじんまりとした店である。店内には小田氏の現役時代の写真も飾られていた。

メニューは、お好み焼き、もんじゃ、焼きそば、焼きうどん、鉄板焼きなど。店内にはケーブルTVがあり、6時を過ぎると野球中継が映し出された。

ここでひとつ発見! 店内に野球マンガ「球界怪物図鑑ラマダランド」(中山ラマダ・著)が置いてあった。実はこのマンガには「ワンポイントらくだ」というキャラクターとして小田氏が登場しているのだ。ラマダ氏の作品は毒がきついので、一部の選手からは不評らしいのだが、この本が置いてあるところを見ると、小田氏はたぶん悪くは思っていないのだろう(笑)。

お好み焼き、もんじゃ、焼きうどん、ビールなどを飲み食いして会計は4人で6000円であった。

最後は新宿へ。区役所通りにあるカラオケボックス「パセラ」へ。この店は看板に「曲数日本一」と謳っている。今日のツアーの締めくくりは「野球ソング限定カラオケ」だ。

歌ったのは「燃えよドラゴンズ’99」「野球小僧」「ファイターズ讃歌」「近鉄バファローズの歌」「それゆけ広島カープ」など。

確認出来た範囲内では、野球ソングは16曲入っていた。しかし「曲集」の中に「野球」のコーナーが無かったので曲目を探しにくかった(「Jリーグ」のコーナーはあるのに…)。

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