1031 東亰六大學秋季リィグ戰 早稻田大−慶應義塾大
(神宮球場)

(東亰都・むさし)

20世紀最後の早慶戰

この日、本當は別の豫定があつたのだが、朝目が覺めると無性に神宮球場へ行きたくなつてしまつた。そこで豫定を急遽キャンセル。ちなみにキャンセルの理由は「急病」である。持病の「野球見たい病」が發病してしまつたのだ(笑)。

神宮球場で行なわれるのは早慶戰である。早慶戰には一度行つてみたいと思つてゐた。かつてはプロ野球を凌ぎ、日本野球界で一番注目度の高かつた對戰カードである。

早慶戰は今世紀初頭の1903(明治36)年に第1囘が擧行された。しかしその3年後の1906年から過熱した應援合戰と學生間の對立が原因で、1925(大正14)年まで19年間も對戰が凍結。さらには第二次世界大戰中による中斷などもあつたが、100年近くの歴史のある「傳統の一戰」である。

その早慶戰の「20世紀最後」のゲーム。しかも今囘は「勝つた方が優勝」といふ、これ以上ないシチュエイション。見逃がしたらきつと後悔するだらう。ちなみに試合前の時點での順位表は以下のとほり。

順位 校名 試合 勝點 勝率
1 法大 13 3 8 5 0 .615
1 立大 13 3 8 5 0 .615
1 慶大 14 3 8 5 1 .615
4 早大 12 3 7 5 0 .583
5 明大 14 2 6 7 1 .462
6 東大 10 0 0 10 0 .000

一應ここで、六大學野球の順位決定方法について説明しておかう。一番優先されるのは「勝ち點」で(1カード3試合制で、勝ち越したチームに勝ち點「1」がつく)、勝ち點同數の場合には勝率の高いチームが上位となる。

この時點では法・立・慶・早の4校が「勝ち點3」で竝んでゐる。しかしすでに法・立は全日程を終了してゐるので、必然的に早慶戰で勝ち越した方が「勝ち點4」となり、優勝といふわけだ。

それなのにテレビ中繼はおろかラヂオ中繼もないとはどういふことだらう。かつては早慶戰はもちろんのこと、優勝のかかつた試合はかならずNHKで中繼があつたものなのに。最近のマスコミのアマチュア野球に對する不當な扱ひには疑問を感ずる(ただし高校野球の甲子園大會は除く。逆にこちらは扱ひ過ぎ)。

さて、正午少し前に球場に到着。すると球場前では兩校の學生たちが、「慶應スポーツ」、「早稻田スポーツ」といふ學内スポーツ紙を1部100圓で販賣してゐた。内容は「早慶戰特輯」らしい。タダなら貰つてもいいが、買つてまで讀みたいとは思はなかつた。

まづは入場劵を購入。正面の入場劵賣り場にはなんと行列が出來てゐた。竝んでゐるのは大半が老人。平日のデーゲームといふこともあらうが、六大學野球全盛時代からのファンがやつてきてゐるのだらう。ちなみに劵の種類は、

●特別指定席…1300圓
●特別内野席…1100圓
●一般内野席…900圓
●學生席…500圓
●外野席…700圓

となつてゐて、特別指定にするか特別内野にするか迷つたが、結局後者を劵を購入した。

<參考> 席席圖 なおこの日は一般内野席のうち、外野寄りの場所(ヤクルト−巨人戰ではC指定になる部分)は未開放であつた。

左は「慶應スポーツ」、右は「早稻田スポーツ」 入場劵賣り場の行列

入口で「神宮球場ガイドブック・2000年秋號」を買つてから、一壘側上段の席に坐る。すでに試合前から兩校應援團による應援合戰が始まつてゐた。

試合は慶應・山本省吾(近鐵にドラフト1位指名)、早稻田・鎌田祐哉(ヤクルトにドラフト2位指名)の先發で13時プレイボール。1囘裏、早稻田は1死1、3壘のチャンスをつかみ、ここで4番義積のサードゴロの間にランナァが返りあつけなく先制。

するとすぐさま2囘表、慶應は1死3壘のチャンスをつかむが、6番藤野のショウトゴロで三壘ランナァが本壘でタッチアウト。兩チーム對照的な立ち上がりの攻防となつた。

しかし慶應は續く3囘表、2死2、3壘から3番喜田がセンター前ヒット。2者を返し2對1と逆轉に成功した。序盤からシィソーゲームとなり、「決戰」らしい好ゲームを期待させる展開である。

なほ、スタンドのはうは試合中にも續々と客が入つてきて、いつの間にか内野席は8割くらゐの入りになつてゐた。もちろん學生席は超滿員である。公式發表によると入場者は25000人。これは平日のデーゲームといふことを考慮すると豫想以上の集客だ。

中には背廣姿の會社員風の人も。きつと母校の試合が氣になつて、何らかの理由をつけて會社を拔け出してきたのだらう。早稻田側のはうが觀客が多いのは、兩校卒業生の絶對數の差か。

おなじみの兩校應援ボード

その後試合は兩校とも得點を奪へず、緊迫した試合展開となつた。早稻田は5囘表途中から前日完封したばかりの2年生サウスポー和田を投入。一方慶應はエース山本がランナァを出しながらも要所を抑える。

そして迎へた9囘裏。早稻田はランナァを2壘に進めるがすでに2アウト。バッターは8番野口。一打出れば同點。ホオムランでも出やうものなら逆轉サヨナラ優勝だ。野口は粘りに粘つてカウント2−3まで持ち込んだ。

しかし最後は山本の變化球に手が出ずに見逃し三振。時刻は1521分。慶應は7シィズンぶり29囘目の優勝を決めた。ベンチからは全選手がマウンドへ向かつて飛び出す。そして三壘側の應援團に向かつて挨拶。その後胴上げが始まつた。なほ、負けた早稻田は4位となつた。

優勝の瞬間

試合後には兩校應援團によるエールの交換のあと、秋季リィグ戰閉會式が行なわれた。六大學の全選手がブラスバンドの演奏に合はせて入場。優勝した慶應の山上主將にNHK杯などが授與される。

閉會式で表彰される山上主將

そして六大學聯盟の片岡寛光理事長の挨拶。「君が代」吹奏とともに國旗降下。最後は「螢の光」とともに選手が退場し、20世紀の東亰六大學野球は幕を閉ぢた。スタンドの常連と思しき老人たちは、「また來年の春、會ひませう」と云つて球場を後にした。

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