鎌ヶ谷ファイターズ優勝祝賀会レポート

@むさし編〜「家に帰っても、体がビール臭かった」の巻

(東京都・むさし郷司)

1999年10月4日(月)、この日は今年4回目の鎌ヶ谷行きであった。私の自宅からファイターズスタジアムまでは、片道2時間半かかる。前回(8月30日・五輪壮行試合)に来た時には、もう今年は鎌ヶ谷に来ることは無いだろうと思っていたのだが…。

何故、また来たのかというと、10月2日のヤクルト戦(戸田)でイースタンリーグ優勝を決めたファイターズが、この日の最終戦の試合後にファンと共に祝勝会を行うという情報を得たからである。一般のファンがビール掛けに立ち会える機会はそうそう無いので思わず来てしまった。

正午過ぎに球場に到着。球場の前には紅白の幕が張られ、くす玉が用意されていた。そして入場券を買い、スタンドへ。

するとネット裏やや三塁寄りに、おなじみの「鎌ヶ谷野次オヤジB(た○かさん)がいた。そして12時15分頃には「鎌ヶ谷野次オヤジA(こう○まさん)も到着。さっそくビールで宴会が始まる(いつものように、こう○まさんは「マイグラス」持参)。

さて試合は先発投手日ハム・櫻井、ヤクルト・石堂で1時に開始される。1回表無死1、3塁、打者ユウイチの時にパスボールで1点が入る。すると、こう○まさんはさっそく「消化試合だからってしっかりやれぃ!」と野次を飛ばす。一方日ハムは、1回裏に小牧の犠牲フライで同点、2回には島田のタイムリーヒットで勝ち越し。

このあたりで突如スタンドにダラ球会のたけがわさんが登場!

オイオイ、一体どうしたの?今日は平日の昼間だよ!

どうやら急に「風邪をひいてしまった」らしく、その療養のために鎌ヶ谷を訪れたようだ(笑)。

4回表にヤクルトは2死2、3塁から上野がセカンド強襲ヒットを放ち、2者を返し逆転する。ちなみに上野は普段は二軍のブルペンキャッチャー的存在で、めったに試合に登場する機会が無いのだが、ここのところ妙に出番が多いと思っていたら、公式戦終了後自由契約になってしまった。最後の「温情出場」だったのだろうか。

試合は4−2とヤクルトリードのまま9回表へ。ここでスタンドが突然沸く。何かと思ったらマウンドに与田が登場したのだ。先日(10月2日)の千葉マリンの一軍最終戦で登板して、もう日ハムのユニフォームを着ての登板は無いものと思っていたが、二軍最終戦にも登板してきた。

結果は打者5人に対して、1安打1失点(住友のホームラン)1四球。果たしてこれが与田の現役最後の登板になるのだろうか。

9回裏に日ハムは小牧のソロホームランで1点を返すが、結局5−3でヤクルトの勝利。日ハムは最終戦を勝利で飾ることは出来ず。試合終了は3時36分であった。観客は約300人。これは平日の二軍戦としては、なかなかの入りである。

試合後、マウンド付近で日ハム・佐野監督の胴上げが行われた。そして佐野監督から、

「祝勝会の用意があります。このあと皆さん一杯やりましょう!」

というあいさつがあった。

さて、その祝勝会だが予定では5時半から行なわれるらしい。まだ1時間半以上ある。そこで私とたけがわさんは、合宿所の前に移動して、選手の出入りを見る。

たかがわさんは、ここぞとばかり森本、石井、与田からサインをもらう。そして与田とは写真撮影もする。「むさしさんも一緒に写真に入ったら?」と言われたが、選手と男同士で写真を撮ってもあまり嬉しくないので辞退する(笑)。

準備が整ったため、祝勝会は予定よりも早く4時45分頃始まった。会場は球場正面の広場である。まずは大社オーナーのあいさつ。オーナーは車椅子で登場。これには少々驚く。しかし、あいさつの時には一応自分で立っていた。

そのあと、鎌ヶ谷市長及びファイターズ鎌ヶ谷の会会長のあいさつ、そして祝電紹介が行なわれる。この時、こう○まさんが騒いで関係者に注意されていた(試合中からすでに「出来上がって」いたからなぁ…)。

そして鏡開きのあと、いよいよビール掛けが始まった。ビール掛けはテレビでは何度も見たことがあるが、ナマで見るのはもちろん今回が始めてである。

でも普段見るビール掛けと違うのは、一般のファンも一緒に参加していることだ。最初はとりあえず遠巻きに見ていたファンもすぐにビール掛けに加わる。用意のいい人はちゃんと合羽や着替えを持ってきていた。

それでも中にはズブ濡れになっている女の子もいた。しかし、最も標的になっていたのはもちろんこう○まさん。そりゃぁ、この一年間さんざんヤジってたからなぁ。選手もここぞとばかり集中砲火を浴びせる(笑)。

実は私も写真を撮っていたら、厚沢投手にビールを掛けられてしまった。これで少しはビール掛けを取材するレポーターの気持ちがわかったよ。ところで「野次オヤジB」ことた○かさんの姿が見えない。もう帰ったのだろうか。

ビール掛けは、ベテラン秦選手(この後自由契約になってしまった)の「中締め」により、5時半くらいにお開きになった。あとは選手たちは引き上げて行き、主にファンたちで飲み食いをする。

会場に用意されていたものはビール、日本酒、刺身舟盛り、寿司、パン、赤飯、各種かわきもの、そしてもちろん日本ハム製品(生ハム、ソーセージ、サラミなど)である。その中では刺身舟盛りがなかなか減らならないのが意外であった。私はここぞとばかり高そうなものから食った(笑)。

ちなみにこの時に、先日(9月5日)のイースタンリーグトーナメント(ひたちなか)で見掛けた女の子がいたので声を掛けたら、沖縄のファーム日本選手権(10月9日・対阪神)にも行くそうである。さすがの私もこれには負ける(笑)。

さて、6時になってそろそろ人もまばらになってきた頃、てっきり帰ったものと思っていたた○かさんの姿を見つけた。噂によると、どうやら警察の方とご一緒していたようだ。何かトラブルでも起こしたのだろうか。そして、何故か試合中と違う上着を着ていた。

帰りは、すでにすっかり暗くなった道を新京成・北初富駅まで30分かけて歩いた。いつ来てもこの球場は不便だ。送迎バスでも出せぃ!こう○まさん口調で)

そして2時間半かけてようやく家に着く。まだ髪の毛がビールでパリパリだった。

Aたけがわ編〜「家に入れないのは困るので、ビールから逃げ回った」の巻

(東京都・たけがわ雅子)

1999年10月2日、ご承知のとおり(えっ?知らないって。そ、そんな…)、イースタンリーグで優勝した日本ハムファイターズは、4日の鎌ヶ谷最終戦の後、ファンも交えて祝勝会を行った。そして、私は急遽「風邪をひいて寝込んでしまった」…事になっている(笑)。

実に2年振りに鎌ヶ谷まで足を運ぶ。…相変わらず遠い。しかも、途中で自転車に乗った地元の人に話かけられてしまった。

「試合(観戦)ですか?」 えぇ、はい。どうやら行き先は同じらしい。
「間に合うかしらねぇ」 いやぁ…(1時20分位)もう始まってますねぇ。
「あのぅ、どちらから歩いていらしたんですか?」 どちらと言われても…。北初富駅から…ですけどォ…。
「あらぁ、遠いですねぇ」 全くですよぉー。
「ところで、どちらからいらしたんですか?」 具体的な地名を出しても仕方がないので、「東京です」と答えておいた。…間違ってはいないもん。

そうしたら、びっくりされた。ええ、ええ、どーせ4〜5年前は相模原にも行っていた「熱心なファン」でしたよ。今は「不真面目な、元ファン」ですよー…と言っても、説得力に欠けるか。こんなトコまで来ていたら(笑)。

球場前で、2日前の戸田で「2年振りに再会した」友人に会う。あれぇ、彼女も「風邪」かぁ? いや、そうではなく元々「遅くなった夏休み」にしていたらしい。

確か、むさし氏が来るとか言っていたよーな気がするので、スタンドに出るところで彼女と一端分かれる。さて、いるかなー。あっ、いたいた。

しかし…、ホント一体どーしたんだ? 知り合いが随分来ているぞ。「アンタが久々に来るからだ!」と言われりゃ、返す言葉がないのだが、冗談抜きで本当に「同窓会状態」だぁ?!(中には渡辺浩司コーチ夫人や娘のまりんちゃんの姿も)

そしてその中には先日、久々に再会した「OYAJI」(Nさん)もいた。ちなみにユニフォームの「背番号03」の由来は…

「東京03。…と言うのは冗談で『Oっ3(オッサン)』(本人談)」だそうである。

最初「東京03」と言われたときは、どーしよーかと思ったよォ…。「何だ、やっぱりそうか」と一瞬思ってしまった(笑)。

周囲の若い人たちから、「Nさんは、オッサンなんだから、03にしたらァ?」と言われてそうしたのだそうだ。…ちなみにNさんいわく「永久欠番ですので(本人談)」。…もぅー相変わらずやなぁ…。

ところで鎌ヶ谷で「最近、痩せました?」と聞いたら、冗談で「子宮癌」と言われてしまった…。思わず「そうですか、実は私は『前立腺癌』で…」と返してしまった。全くぅ…2人共! どーやってなるんだぁ!!(実は、私も先日「たけちゃん、最近痩せた?」と聞かれていたので)

ところで私は、父(「OYAJI」ではない)に鎌ヶ谷に行くことを言っていなかったので、試合終了後に、仕事中の父に連絡をしたら…、「ビールの匂いさせて帰ってきたら、家入れねーからな(笑)」…と言われてしまった。

そこで私は、すかさず「大丈夫、逃げるから」と答えておいた。後で聞いたら、えのきどいちろう氏のラジオ番組で祝勝会をやることを言っていたらしい。

試合後、祝勝会まで時間があるので「出待ち」をする。「ダラ球会では(何故か?)アイドル」の森本稀哲にサインを頂く。顔写真はともかくとして、実物は結構可愛いと思う、スキンヘッドが。あっしまった。写真も撮らせてもらえば良かったかな、残念。

与田さんにも頂く。さすが、捕まりっぱなしである。あちこちから「与田さん、やめないでー」と言う声が(私も言ったが…)飛ぶ。

「僕もやめたくないですよ…」…寂しそうに答えていた。

5時頃、大社オーナーのご挨拶で祝勝会が始まる。高齢なので足腰が弱っておられているようだ。4〜5年前に鴨川で拝見した時は、まだ自分の足で歩いておられたのに、車椅子での登場だった。

鎌ヶ谷市長の祝辞やら、各方面の祝電の披露の後、いよいよ…。

…その前に。ホークス優勝時のダイエー新浦安店ではジェット風船(7回と試合終了後用)を配っていたが、鎌ヶ谷では「クラッカー(地方によっては『コメット』とも言う?…のかな??)」が配られた。

乾杯の合図とともに鏡割り。そしてクラッカーが炸裂する(…また火薬くせぇ…。我ながら他に言うことないのか…)。

すると、選手はもうビールをかけまくっている。

「ピシュー、シュルシュル…」 

へー、本当にこんな音がするんだぁ。初めて知ったなぁ。別に、効果音じゃなかったんだぁ、この音。

見ると、知人たちも選手にかけている。しかも、そのうち少なくても1人は上下とも着替え持参。3人ほどはゴミ袋と思われる、大きなビニール袋で作った即席のポンチョでガードしている。

…そりゃあ、私もかけたいのは山々だが、家に入れないのは困る。それでなくったって、「西武ファン」の父は優勝を逃して機嫌が(時々)悪い(事もある)のだ。「逃げる」と言ったからには、気持ちだけは石本努になって、(私は足、遅いのだが…)逃げ回らなくては…。

それに私、今年のファーム初観戦が9月中旬という、「おいしいとこ取り」だし。しかも最近は違うチームを応援しているから、何か一緒にはしゃいじゃ、ちょっと申し訳ないような気もするし…。

でも、ちゃっかりと鏡割りの日本酒は(私はビールや発泡酒は飲めないので)もらう。うーん、口当たりが良くてうまい。調子に乗ってもう一杯。

あっところで。頻りにカメラマンしていたむさし氏、ビールが(本人にも)かかってしまってました。

よくよく見ると、…おーい、石井丈裕〜。アンタねー、仮にも1992年のシリーズMVPでしょー。それも「ジュニア選手権」じゃなくて、正真正銘の「日本シリーズ」の!! …なのに…はしゃいでいるよォー…。ちょっと悲しい。見るんじゃなかったって感じかな。

あぁ、与田さんも…はしゃいでいる…。何かこれも悲しい。

あっ何だか知らないけど、小牧さんはセミヌードになっちゃってた。誰かに剥がされたのかなぁ?

ビールかけが続く中、片隅のテーブルを見ると缶ビールが並んでいる。「も〜らいっ!」とガメるが、我が家にビールを飲める人間はいない。さて、私は一体どうしたでしょう? (…クイズかいな)

じゃ、むさしさん。後はヨロシク。

…と言って逃げる、「ひきょーモン」のたけがわであった(一応、祝勝会は最後までいましたけどね。…でも眠いし。また徹夜になると困るし・笑。さ、もう寝よっと)。

<教訓>

祝勝会 何でもありさ 無礼講 (川柳にしちゃあ字余り…)

優勝の 決まったその日 眠れない

…間違っても平日には、決まって欲しくないかも…(何せ、ワープロ叩いて徹夜した大馬鹿者だしィ)。

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