『僕の西鉄ライオンズ』      

 (長谷川法世著/さくら出版)

(千葉県・ふさ千明)

 我が国には、八百万の神が宿るという。海には海の、山には山の、かまどにはかまどの神さまが宿る。そしてそれと同じように、その昔博多の街に宿ったプロ野球チームがあった。その名を西鉄ライオンズという。

 西鉄ライオンズというチームは、そんな匂いがある。地元に愛され、親しまれ、時に彼らを狂わせる。その匂いを感じさせてくれたのが、本書である。少年時代が西鉄最強時代と共にあった著者の、「黄金の日々」へのオマージュ。生活を描くことが西鉄を語ることになる。「市民球団」という存在を遙かに越えたところに西鉄ライオンズはあったのであることを教えてもらった。

 西鉄球団初の日本一を記念して生徒に西鉄の作文を書かせてしまう先生、西鉄が優勝しなければ結婚しないと断言して身もだえる若者、授業中携帯ラジオで日本シリーズをこっそりと聞く小学生‥。炭坑町に住み「自分の平和台」を空き地に作って遊ぶ子供。球団歌にあるように西鉄は「九州全土の声援浴びて」いたのだった。

 勝てば沸き負ければ沈む。生活の中に「ライオンズ」があった。本書中、野球自体のシーンはそれほどあるわけではない。広場で遊んだり、平和台球場に足を運んだりするシーンもさほど目立たない。あくまで主人公大宮拓二少年の生活を描いており、そのなかにごく自然な形で「西鉄ライオンズ」が端々に表れ出るのである。

 道ばたの張り紙に西鉄の強打者中西太の落書きをしたり、糸巻き車のオモチャに「6」と書き込んだり(6は中西の背番号)そんな些細な風景の中に「野球」「西鉄」が織り込まれている。野球をすれば当然ピッチャーは「稲尾」、バッターは「中西」「豊田」「大下」と、いずれも西鉄の選手である。

 シラミの検査、戦争の焼け跡、ボタ拾い。貧しくも豊かであったと言い伝えられる時代が、作中のそこかしこに見える。昭和中期の風景もまた往事の空気を伝える。

 象徴的だったのは、野球で遊ぶ際に両チームとも「西鉄」になりたがり「そんなら勝った方が西鉄たい」という結論になったことである。負けた方は「巨人に決まっとろうもん」同一リーグの南海や阪急ではないというのが面白い。西鉄は優勝し日本シリーズで巨人を破る、という図式がすでにあったということだと思う。

 解説で当時のエース稲尾氏はこう言っている。「私は昭和三十三年の日本シリーズで「神さま、仏さま、イナオさま」と言われた。だが考えてみると、勝ったから崇められたが、もし負けていたら‥‥」本書中の熱狂を見て青くなったのかも知れない。

 最終話における「クラス一丸・授業そっちのけ・先生も一緒に西鉄の応援」という風景はそうさせるに充分の迫力だった。

 また、こうも言っている。「三連敗の時、監督も選手も、このまま敗けてはファンに申し訳ない。せめて、一つだけでも勝とう、こんな思いが四連勝につながった」と。こういう思いを抱くチームがあり、抱かせるファンがいたことを、四十年後の私は羨望をもって想像するしかない。

 そしてまた、本書を読んでいて湧きあがってきたものがある。私の地元球団千葉ロッテマリーンズというものへのいとおしさである。

 無性に千葉ロッテマリーンズの試合が見たくなった。千葉マリンスタジアムに足を運びたくなった。そして「オラがチーム」のある喜びを噛みしめたくなった。

 行けばもちろん、黄金の日々を分かち合うのである。

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