『名スカウトはなぜ死んだか』      

 (六車護・著/講談社)

(岡山県・おぐらだいすけ)

あれから早、4年の歳月が過ぎた。当事者のひとりである新垣渚は自由枠でのダイエーへの入団を決めた。私がもう一方の当事者である三輪田スカウトの存在を知ることになったのは、彼が自死を遂げたときの週の「週刊ベースボール」誌上でのことである。

そのときのインタビュー記事や、その後の号でこのことをネタにした高岡凡太郎氏の連載漫画が打ちきりになった事ども含めて、鮮烈な印象に残る出来事だった。

いうまでもなく、あのイチローを発掘して名スカウトのひとりに名を連ねていた人となりや、死に至るまでの背景を検証した鎮魂の書。著者が彼の大学野球部の時の同期であることから、互いでしか知り得ない内容がふんだんに盛り込まれた内容になっている。著者は「私」を出すことを良しとしなかったようであるが、編集者の「思いの丈を込めていきましょう」との言葉に背中を押されたという。

現役時代は投手で鳴らし、中京、早稲田とエリートコースといっても良い道を歩んで来たが、大昭和製紙に入社してからは膝を痛めたことがあり持ち前の速球が出なかったという。それでも都市対抗には出場して休部状態の部を持ち直したり、阪急からドラフト1位で指名されて、将来を嘱望されていたのは間違いない。

ただ、そのころの阪急は投手王国。山田、足立といった投手陣が目白押しだったこともあり、活躍できなかった。もし別の球団に指名されていたら、又変わったものになったかもしれないが。

しかし、東京六大学の人脈を欲しがっていた阪急にとってスカウトとして打ってつけであり、ここからスカウトとしての人生が始まるのだが、その辺は本編に譲る。ただ、人となりを本書で垣間見るに当たって、やはりもっと良い人材を発掘できる人だったであろう事は間違いないという確信を持っただけに、残念きわまりないと思うことひとしおである。実際、この4年間でオリックスが失ったものははかり知れず、低迷に繋がった原因はここにもあるのではないか。

彼の部下であった山本氏の「皆で決めたことなのに(制度を)守ろうとしない」という言葉や、沖縄での彼が残したと思われるメモの「逆指名制度はナンセンス」という言葉を噛みしめる必要性を改めて認識した。堕落しているスピードが速くなるつつあると感じるドラフト会議の結果を横目で見つつ。

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