『大下弘 虹の生涯』 

(辺見じゅん・著/新潮文庫)

(千葉県・ふさ千明)

日本の打撃人を五人挙げるとすれば、川上、大下、中西、長島、王。三人にしぼるとすれば、大下、中西、長嶋。そして、たった一人を選ぶとすれば、大下弘。 これは三原脩の言葉である。私は本作を読んで、この言葉に納得してしまった。  

単に記録上の偉人ではなく<打撃人>と付いたとき、人々がそこに求めるものは果たして何であろうか。それはプロ野球に於いて観客がバッターに対して何を求めるか、ということでもある。  

ホームランという野球における最大の華を打つこと。これが一つ。そしてその時のスゥイングが子供が真似する程に美しいこと。さらには天才であること。  

天才という言葉は軽々しく使うべきではないがそれを観客に感じさせることが<打撃人>には必要である。  

なぜならばプロ野球に観客が求めるものが非日常の世界であるからだ。天才が投げ天才が打つ。常識という枠をせせら笑うかのように、普通人には視認することすら至難な豪速球を投げ、そしてまた打つ。  

その世界の打撃における具現者が大下弘であった。粗悪な道具と劣悪な環境、そして重い期待の中で「ポンちゃん」の二つ名が示すとおりの大飛球をスタンドに弾きとばし、人々に空の青さを思わせる。それが彼にはできた。  

それは彼だけができたのではない。しかし誰か一人に限定するとなれば彼しかいない。そういうことだと、私は思う。  

光が強ければそれによって生じる影もまた色濃くなる。彼の人生が順風満帆なものではなく、自身が苦しみ、そして他者を苦しめたという事実がある。それを描くことなく彼の人生を綴ることはできない。本作中に当然あらわれでる。それを読み進んでいくとき、苦痛を感じることすらあった。いらだちを覚えたこともあった。そこまで入り込んでしまったのは作者の筆力と共に、大下弘という男の、選手として人間としての魅力の賜物であったのだろう。  

そこで「英雄も人の子であり云々」とは考えず、その中でそれを微塵も感じさせずグラウンドで活躍したということを称えたくなる。  

それが<打撃人>たるのゆえんであるとも言えよう。あくまでも彼は野球の中に打撃に於いて生きる人間であった。  

だから、本作は現役を退くところで終わり、以後の人生はその死がわずかにエピローグで描かれているのみだ。そうあるべきではないか。本作は<打撃人>大下弘の物語であるのだから。  

本作には王貞治、赤瀬川隼両氏が一筆を寄せている。両氏の文章からは各々の大下弘への思いが込められており、時として蛇足となりがちな解説を清涼なものにしている。  

ぜひ一読されることをお勧めする。

<追記> 1999年11月 文春文庫より再刊行

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